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仕事のしやすい職場をキープするには一人一人のインプットが大事

病気やもろもろの事情で現場を数年離れていたとても大先輩のナースが復帰しました。
知識も豊富で、リーダーシップもあるナースで、私も大好きな人です。

それでも、数年のブランクというのは大きく、働いているメンバーもその当時のものと大幅に変わっているし、オリエンテーションも受けなくてはいけません。その先輩を知る私にとってその人は大先輩でも、私の後輩たちにとっては、たぶん、だれこのおばさん??です。

そんなある日、その先輩ナースは私が当時どのくらい英語とフランス語が話せなくて、どのくらいそんな私をみんなでからかったか、という話をし始めました。
確かに面白かったこともあったんですけどね。
でも、彼女、だいぶ行き過ぎて、かなりほかの後輩たちを居心地悪くさせていました。

それで、思い出したのが、その先輩が全盛期?だった頃の私の働いているフロアの状況でした。

まだ新人だった私は毎日仕事に行くのがとっても嫌でした。
今はこんなに、るんるんと、毎日仕事に出かけていくので、すっかり忘れていました。

かなりネガティブな、そして、足の引っ張り合いや、いじめの多い職場で、マギルのナーシングの学生たちから絶対に行きたくないフロアワースト1に選ばれていたほどでした。たぶん、このブログの最初の最初の頃は、そういう時期の真っただ中のころだったと思います。毎日頑張って出勤して、とにかくいい雰囲気を作ろう、働きやすい雰囲気を作ろう、と、自分に言い聞かせていたのを思い出しました。「その一日みんなが笑って働けるなら、そのための労力は惜しまない」と。でも、割と私も、流れに流されたりしていたんですけどね。

そんな職場が変わったのは、なぜか、問題だったBULLIES(いじめる側の人たち)が辞め始めたのが始まりでした。
その中でも一番のブーリーだった問題の人がナーバスブレークダウンをしたのをきっかけに、彼女の側の人だった人たちが次々とやめていきました。そして、彼女の側の人で残った人たちは、居心地がすごく悪くなり、自分たちを変えていくわけにはいかなくなりました。

当時はごっそりと先輩たちが辞めたので、私たち中堅層がものすごくたくさん働かなくてはいけなくなり、責任も重くなり、とても大変でしたが、でも、そこでいいチームワークが生まれました。

そして、今に至るわけです。

いじめっ子たちにはとても居心地の良い場所だろうと思っていたのに、なぜ、あそこで、いじめっ子たちがみんな次々とブレークダウンしていったのか、本当に本当に不思議です。

ま、諸行無常、栄枯疎水、ということですね。きっと。

というわけで、そんないじめっ子の中の一人だった先輩が今帰ってきても、そういういじめっ子文化はもうここにはないわけで、彼女も気を付けないと、また身体を壊す羽目になるのです。

職場の雰囲気は、
1 リーダーがいるか
2 ざっくばらんにコミュニケーションがとれるか
3 チームプレヤーの割合が高いか

で、決まるかな。とおもいます。


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ものすごく緊張した最初の一週間。


今から10年も前の話。


カナダにワーホリできて、その間、アフリカなどを旅してまわり、すっかりと2年ほど楽しんで、それから腰をいれて、ここで看護師になる道を歩き始めて、その夢もかなった、最初の一週間。


まず、病棟にいても言葉がわからない。

最初の6週間はオリエンテーションだからプリセプターがついているのですが、英語はたぶん半分くらいしか、フランス語なんて3割もわからない。


もう、初日から泣きそうでした・・・・・。


なんだか、テストの本番、のような気持ちで、英語を必死で操りながら、患者さんやその両親、そして、同僚と話すのです。英語がもういやーーーー!!!!とおもっても逃げ道はフランス語。もっとわからないじゃん・・・・・。


そして、プライドはあるから、そんな自分が情けなくて情けなくて、家に帰ると、涙がでました。


職場では泣かないように、泣かないように、がんばりました。


これって、もう、自分の心の持って生き方次第、そして、自分の自信次第なのですが、自信がなくて、びくびくしていると、ちょっとしたことにも敏感に反応してしまい、

「あ、この人私が言葉が下手だから、こういうこというんだ」

とか、「この人、私のこと馬鹿にしているんだ。私の言葉が下手だから。」って、そっちにすぐ行ってしまう。そして、落ち込む。


今考えれば、そして、今なら、同じことを言われても、

「え?この発音ちがってるの?じゃあ、もう一回ちょっと言ってみてよ」とか、

「you know what? だまれ!」とか、(もちろん冗談口調で)

「ああ、ま、日本人の私は、ここでは、ちょっと、もったいないくらい、貴重よね」とか、

いろいろと、切り返しができるのですが、当時はもう、家に帰って悔しくて泣くだけ。


英語はそこそこできたのに。

リフレッシャーコースではいつもトップ争いにいたのに・・・・・。

フランス語だって、そんなに悪くはなかったのです。


そんな一週間後にストレスと疲れでしょうね、熱を出しました。

お休みの日に旦那とジャンタロンマーケットに行っていたら、そこでいきなり高熱を出しほぼ倒れかけました(笑)




……今となっては懐かしい日々です。



そんな時、いつも思い出していたのは、中学の同級生で今は大工さんをしている男の子が言った言葉。


「石の上には5年。何かやり始めたら5年は続けないと、やめ癖がつく。」


感謝してます。


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カナダのナースの服装

私が日本で看護師をしていた十数年前。
東京のある大学病院で働いていました。
当時は、まだナースキャップが健在。そして、ユニフォームはワンピースかスカート。
ちょうど、観月ありさ主演のナースのお仕事が最盛期のころで(歳がばればれだ)
観月ありさがドラマの中できていた白衣にめちゃめちゃ憧れました。
(私の働いていた病院は私の入った年から指定のユニフォームができて好きなものを着ることができませんでした)

カナダではスクラブと言われる、日本でも出始めつつある、手術の術衣のようなものを着て働きます。
デザインもいろいろとあり、何よりも、働きやすい~!
でも、ファッション性はゼロですね。

本当はいけないのですが、スクラブで通勤しているナースたちもいます。





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カナダはごね得が通用する

カナダに暮らして、数十年。こんなにごね得が通じるものなんだ、ということにびっくりしていた初心もすっかり忘れて、
日本に帰ると、その融通の利かなさに驚くこともあるほど。

そんな私もびっくりしたことがありました。

数か月前、ある患者さんのお母さんに、

「病院の入院者用のパーキング割り引きの月ごとの定期が人家族につき一枚しか買えない仕組みになっているのが納得できなくて、事務に電話をして、もし、2枚買わせてくれないのなら、テレビ局にこの問題をもっていってもいい、と言って戦って、やっと2枚パスを買わせてもらった」と、聞きました。

確かに、入院が長引くと、付き添いの家族の方たちは、2台、3台と、車を使って 付き添いの交代をするので、定期が2枚あると楽なはず。でも、その隣の部屋で、違うお父さんが、「これから付き添い交代だから、ちょっと外します。定期が一枚しか買えないから、車一台で、乗り換えて入れ替わりしないといけないからねー。」と、明るく病室を出て行ったのを見送ったときは複雑な気分でした。

うーん。ごね得か。

ごねない、いい人が、損をするような社会になってしまうではないか。カナダ。





トロントで学会




POGO (Pediatric oncology group of ontario) の学会に行かせてもらいました。
参加者はナースが多いのに、内容はかなりドクター中心の内容で、たまにむかっともしましたが、全体的には面白い学会でした。

緩和ケアについて触れている人もいましたが、これに関しては、モントリオールで開かれる国際緩和ケア学会の足元にも及ばず。
そこで出会った日本の緩和ケアのドクターに進められて読んだ本の、Whole person careの煮詰めて煮詰めておいしく煮詰まったスープのような内容にはとても及ばず。緩和ケアをやる人たちには職種を問わずとてもおすすめの本です。日本語訳も出る予定。

興味深かったのは、medulloblastoma(髄芽腫)の最先端治療、遺伝子をターゲットにしてそこをピンポイント攻撃する方法、神経芽細胞腫の免疫療法はメジャーになりつつありますが、がん治療もターゲットを絞っていく時代になってきているようです。

また、東洋医学のほうにも目が開かれてきており、午後の一セッションは東洋医学と西洋医学の合体、日本でいう統合医療の分野でした。特に針治療が注目されているようで、それを臨床で生かしていく試みがここ、トロントでは行われているようです。
でも、この分野はまだまだ時間がかかりそう。これは、西洋医学のほうが東洋医学を過少評価している、というのもありますが、特に今問題になっているのが、がん患者に、東洋医学の技術者が、「あなたのお子さんのがんが治らなかったのは東洋医学一本でやらなかったからだ」というパターンで、西洋医学からまったく患者を隔離し、そして、最後はなくなってしまう、というパターンが多いのだそうです。

最後に、一つ、とても印象に残ったセッションについて。

そのセッションは、ドクター、ナースによるパネルディスカッションで、3人のパネラーが、緩和ケアに治療を切り替えていく導入をどうやっていくのがいいのか、またがん患者の家族、この場合両親に対して、どのように接していくのがいいのか、医療者として、患者の親にはどういう親になってもらえるように、リードしていけばいいのか、また、避けられないこととして起こる、「怒り」を顕著に表してくる親にはどう対処していったらいいのか、また、こういう環境で、極限で働く私たち医療従事者のストレスはどのように対処していけばいいのか、などについて、発表し、会場の場は、「どうやって患者や、その親からもたらされる、理不尽なストレスを回避していくか」のような流れになっていきました。精神科医のパネラーのひとりが、そういう時の上手な回避方法や、どのように自分の感情をコントロールしていくか、などを心理的な面から分析し、説明していました。

そして、最後の質問も終わり、そろそろこのセッションは閉じるか、というときに、以前一緒に働いていた同年代のドクターが手を上げました。彼は、家族の事情で、数年前にここオンタリオ州に移っていったドクターでした。

そして、彼はいいました。

「確かに、労働条件はひどい時がある。研修医なんて一時間しか寝てなくて翌日、仕事をしている時もある。私たちの労働環境は高度のストレスに常に囲まれているし、極限で働いている時もある。でも、私たちの目の前にいるその子の親はたぶん1時間どころか4日間全く寝てないことだってある。その親たちが今体験している現実は、はっきり言って地獄だ。その地獄の中にいる人たちを相手にしている、ということを、私たち医療者は忘れてしまってはいけないんじゃないだろうか?」

会場が一瞬しーんとなりました。

司会が、はっとして、適当にとりつくろってこのセッションはおわりになりました。

が、このドクターの言葉がずーっと心に残り、そして、それを帰ってきて友達に話した時に、涙が止まらなくなりました。

バーンアウトだの、ストレスだの、いろいろと言われていますが、私たちは誰を相手に仕事をしているのか、ということを最近忘れがちなのです。原点に引き戻してもらった学会でした。

 
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プロフィール

oriental nurse

Author:oriental nurse
子どものがん看護、緩和ケアをモントリオールで追求しているオリエンタルナース(東洋人ナース)です。

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