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5つの死


この一年、去年の9月からこの1年間、大好きで尊敬していた友人の死を初めに、職場では、4人の死ととことん向き合い、4人の子供たちをみおくりました。

友人の死については、モントリオールで、私たち外人はどうやって健康管理をしていったらいいのか、実際に病気になったらどうしたらいいのか、とても考えさせられる経験でした。また、初めて、近しい人を失う、というつらい経験でもありました。

友人を看取ってから、なぜか、まったく死が怖くなくなりました。
それまで、私は、ナースのくせに、死が怖くて怖くて、できるだけ、死なさないように、死なさないように、言い換えれば、
自分のシフトの時は死なないで、と思っているタイプのナースでした。

友人が、亡くなるときに、教えてくれたこと。「死は、生きることの一つの営みなんだよ。だから怖いことでもなんでもないんだよ」
ということです。

死は、敗北でもなく、
終わりでもなく、
苦しいことでも、
悲しいことでもないのです。

魂、というものがあるのなら、それが、身体、というちょっときつくなって苦しくなってきた衣服をぬぐようなもの、なのかもしれない。

ただ、残されるものは、悲しいし、その悲しみを乗り越えるのは、とても苦しい。
そして、旅立つほうも、きっと、お別れは悲しい。やりたいことがまだあったら、無念。

赤ちゃんや、子供たちは、大好きなパパとママとお別れするのが、とても悲しいはず。

ただ、魂は、きっと、残ります。そして、生きている者たちとずっと、つながっていくのだと思います。


ということを、以前は、去年までは全く信じられなかった自分が不思議です。

whole person care

Whole Person Care: A New Paradigm for the 21st CenturyWhole Person Care: A New Paradigm for the 21st Century
(2011/05/13)
Tom A. Hutchinson

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数年前に参加させてもらった緩和ケア学会で、日本の緩和チームに会い、そこで紹介してもらった、モントリオール発の緩和ケアの在り方、の本です。

DR HUTCHINSONというマギル大学のドクターが提唱している考え方で、人を人として全体を診ていく、癒しと治療の両方を実践する医療、を中心に、そして、医療従事者の人として健全でいるありかた、も説明しています。たくさんのドクターが論文をこの本に載せていて、その一つ一つがとても勉強になる医療と哲学が一緒になったようないい教科書です。

最近は、これをバイブルとして、仕事がつらい時は特に、開いています。

Palliative care 緩和ケアとは。

今年に入ってからがんの再発、そして、死、というパターンが続いていて、多くの小さな尊い命を失っている。

今までなかなかどうやっていいものかわからずに試行錯誤、四苦八苦していた緩和ケア。

2012年には、緩和ケア国際カンファレンスにも参加し、特に小児の緩和ケアを学んだ。

それから2年。

やっと少しわかってきたのは、緩和ケアをする、というのは、

死へ向かっていく子どもたち、家族の水先案内人になる、死に向かっていく旅のリーダーになる、ということ。

死に向かっていく旅のツアーリーダー(ツアーガイド)になる、ということ。


日本的なツアーガイド、とはちょっとここでは意味が違うかもしれない。

私は1年だけツアーガイドをここでしたことがあるが、日本的なツアーガイドというのは、至れり尽くせり、

お客様が神様、というのがモットー。


イギリス発のアドベンチャーツアーに参加してアフリカ大陸をキャンプして回ったことがある。

その時のツアーガイド(英語ではツアーリーダー)はアフリカ大陸を大型トラックを運転して縦断し、

私たちに危険のないよう、未知の世界へと導きながらその中で100%楽しめるようにお膳立てをしてくれる、

主体性も、責任も自分たちにあるが、日々の決断は自分たちで行うが、その中で、間違った方向に行って、

えらい目に合ったりしないように、私たちを教え、導いてくれる人だった。


緩和ケアをする、ということは、こういうツアーリーダーになることなのだと思う。

それには、死への道、というのを導いて行けるほどに知り尽くしていなければいけない。

緩和ケアを初めて7年になるけど、その道はまだまだ先が見えないなあ。

壮絶な生と静かな死

新年あけましておめでとうございます。

暮れから新年そうそう、がっつりと死と向き合うことになってしまいましたが、それがやっと昨日幕を閉じました。

日本ではあまり考えられなかった、人種、ドラッグ、家庭内暴力、刑務所を出たり入ったりの父、4人兄弟のうち一人だけ父にそっくりということで母が捨ててしまったティーンの男の子。14歳で骨肉腫の診断を受け、治療をはじめたものの、家族のサポートは全くなく、逆に父から虐待を受け、結局治療を途中であきらめてしまった彼は、去年あちこちに転移がみつかり、去年から対処療法をしていました。

ついに、去年の終わりから正式に緩和ケアに切り替え、最期の時を、彼が彼の人生の中で一番快適に過ごせた場所=病院、ですごしていました。

去年の暮れからあちこちに散らばった腫瘍のため痛みが強くたくさんの麻薬を使っていました。

12歳からドラックを常用し、本人もドラッグディーラーだった彼の体の麻薬に対する耐性はものすごく、こんなにたくさんの麻薬を使っているのに、思うような結果が出ないというまれなケースでした。

特に最後の一週間。私はこの一週間毎日勤務だったため、がっつりと彼の死と、そして、死にかけて初めてあちこちから現れた「親戚」と、そして、父、母、と、向き合うことに。

家族内の醜いあらそい、ののしりあい、が死にかけている彼の枕元で繰り広げられ、私も脅されたりして、セキュリティーを呼ぶ羽目になったことも。近郊の警察までしっかりと緊急体制を整えていました。

そんななか、やっとそんな状態が落ち着いて、みんなほっと、私もほっと一息をついて、今日は久しぶりに安らかな夜だなあ・・・と、思い仕事をしていた9時40分。母に見守られて本当に静かに彼は息を引き取りました。

がんの死は、いつも「救い」です。
やっと、痛みのない、苦しみのないところに行かれる「救い」だと、毎回つくづく思います。

そして、それが「救い」だ、と、本当に残された家族が思えるような環境を作っていくのが、導き、一緒にそれを感じることのできる状況をつくっていくのが、緩和ケアの大事な要素のひとつだ、ということをつくづく学んだ死でした。

壮絶な生をこんなに静かに終わらせられたことを彼のためにうれしく思いました。

あっというまのできごと

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てっきり、お家に帰ったもの、と思ったティーンのがん末期の男の子。

実は天国に行ったのでした。


3日前に、一緒にフットボールを見て、ジュラシックパークを見て、なんやかんや、と、話していたのに、

あっという間の出来事でした。


今回は、主治医がなかなか、「緩和ケア」palliative careという、Comfort(快適に過ごせること)を、メインに

した最期の治療に切り替える勇気が出せなくて、まだ、その切り替えを!と、ナースVSドクター、の戦いを

繰り広げていた最中のことでした。


常々思うのですが、

積極的に治療を行う、

攻めて、攻めて、攻めまくる、ホッケーみたいながん治療は、

打つ手がなくなって、「緩和ケア」に移行せざるを得ない状態が、一番の大変な正念場になります。

患者や家族はもちろん、攻めのリーダー、監督、であるドクターにも、ものすごく、辛い決断なんだ、

ということを、今回しみじみと思いました。


病院をホッケーに例えてはいけないかもしれませんが。

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プロフィール

oriental nurse

Author:oriental nurse
子どものがん看護、緩和ケアをモントリオールで追求しているオリエンタルナース(東洋人ナース)です。

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